SSブログ

新年、そして、信念 [雑記]

あけましておめでとうございます

2012年がいい年になればと思います


MJに出会って早2年。私にとっていかに大きい事だったかを今身に染みて感じてます。それは、私自身の日常の中、音楽の中に垣間見ることができて、自分でも驚くことも。。


前回の記事で書かせていただいた、齊藤先生の事もそうですが、今までだったら引っかからなかった事や人に頭を引っ掻かれることがあります。そして、MJの音楽の自分の中の印象や、色や、風景も変わる。。不思議ですが、「あぁそうか。。」と思わされるんです。でもそれは、MJを愛していらっしゃるファンの方にSNSを通じて出会ったことも大きく、それがなかったら、自分の中にMJをホントに取り入れることができなかったなと思ってます。

------------------------------ - - - - - - -

今、オーケストラやクラシックの事を考えることが多いんですが、クラシックのコンサートはけして多くはなく、地方に行くと特に明確に表れる。。どこのオーケストラも集客や資金集めに苦労しているのが現状とされています。

またこんな記事を見まして。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2010/01/post-d298.html

吉松隆さんは日本を代表する作曲家の御一人です。

作曲家の方は、演奏家とは違う様々な葛藤があると思います。なにもないところから、音楽を掴んで形にしないといけない。
著作物に対する思いも演奏家よりずっと強い。音楽に対するジャンルの摩擦など。。

でも、果たして、「クラシックの壁」はホントに乗り越えられない?ベートーヴェンはホントに乗り越えられないのか。。一代では無理でも、その先にあるかもしれない。。
ジャンルが違うかもしれませんが、メロディーとハーモニー、リズムと、曲そのものが降りてくるMJの作曲と音創りと、クラシックの作曲と根本はそう変わらないんではないのでしょうか?

MJは誰も聴いたことのない音で音楽を創ることを徹底的に模索していました。すでにある音でも生にこだわったのは、その響きがいいと思ったから。彼の頭にある音を再現しようと音創りをしていた。
「INVINCIBLE」で、若いロドニーをプロデューサーに迎えたのは、次の世代への橋渡しもあったのかなって思います。外に出て行って、そこら辺のものを叩いて、サンプリングしてって作業は彼(ロドニー)にとっても重要だったと思うし、MJにオーケストレーション的観点がないとできないと思います。

それって、ベートーヴェンと根本は変わらない、、かも。
晩年、耳の聴こえなくなった彼は自分の中にある音楽を楽譜にし、第3楽章では、当時の楽器(ホルン)ではほぼ出せなかった音を楽譜に記しています。これは、新開発のバルブを備えたホルンを想定していたとのこと。。
また、4楽章の有名な「歓喜の歌」のメロディーはホントに簡単で、ポップスの作曲にも通じる、世界中の人々が歌いやすいように創られています。
MJの(特に「INVINCIBLE」に感じる)、メロディーにコードをはめていくソングライティングではなく、コンポーズされた音楽は、クラシック音楽に近いものがあります。
そこに、黒人特有のリズムが加わって、しかもそれを目で観ても楽しめるエンターテイメントにし、この世に残る作品にしたことは、ホントに大きいと思います。

先人が残してくれた偉大な財産に、感謝と敬意と、そして、その人の思い、時代の背景を理解し、自分の中のボーダーをなくし、自分がいいと思えるものを創る。私が好きな音楽家はそういう人なんだと明確な思いができました。
この思いに今たどり着いたのも、MJがあってこそ。


「Will you be there」で第九の4楽章の一部を持ってきたMJに違和感を感じていました。どうしてあんな取ってつけたような感じにしているのか。。しかしそれは90年代の時代にグランジムーブメントが起ころうとしていた中でのMJの音楽的方向転換とも受け取れます。「HIStory」ではめまぐるしく一曲の中でも音楽がかわります。
音楽のマーケットは流が早く、特にポップスは明確です。多くのR&Bのアーティストがジャンルの枠から出られないのに対し、今だから言えることですが、MJは自らのベースは保ちつつ、音楽を変えて取り込んでいったことを考えると、90年代のMJの表現も理解でき、私自身のボキャブラリーのなさを思い知りました。
余談で、これは自分の感覚なんですが、「Shout」では、ラウドロックの影響を感じ、当時生まれつつあったリンキンパークなどのラウドムーブメントを感じます。(違うという方は是非教えて下さい。あくまで感覚なんで。。)

そして、自分を神格化した表現を批判される事に、それこそが狙いだといったMJの言葉がより重く感じられました。


第九のあと、ブラームスがベートーヴェン越えを目指し、自身の交響曲を創るのに20年近くかかったという有名な話があります。その影響なのか、私は「Will you~」で違和感を感じていたんですが、「INVINCIBLE」でタペストリーを感じ、コンポーズを感じました。一枚のアルバムの中に交響曲的な流を感じました。MJがこの話を知っているかも分からないし、自分の中の物語でしかないんですが、「Will you~」から、「INVI~」は私の中で繋がっています。そして、私の中では「INVINCIBLE」はもう一つの「交響曲第10番」だったりします。

__________ _______ _____ _ _ _ _


音楽ってホントになんだろうと考えて、その答えは一生分からないと思うけど、自分が目指す場所は分かった気がします。私にとっての「Man in the mirror」に近づく一年にしたいと思います。


「Will you be there」冒頭の、「ベートーヴェン交響曲第9番第4楽章より」Wikiより引用

Ihr stürzt nieder, Millionen?           
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう


参考資料
「日経おとなのOFF」12月号


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。